紫指揮部

アクセスカウンタ

zoom RSS チームの起源 Part1

<<   作成日時 : 2014/11/12 06:16   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 さて,再開宣言したものの,長いブランクのせいで習慣化していません。重い岩を動かすのには初動に大いなるエネルギーが要ります。こういう時は,全く違う角度から入るのがいいと思います。

 いつか記そうと思っていました。北上の歴史です。それを残せるのは私しかいないですしね。

 北上の正規のエンブレムには「1987」の年号が入っています。これは,チームが正式に少年団登録をした年を表しています。なぜなら,エンブレムの原画を作者に依頼した時に,「チーム創設の年を入れたい。」との要望を受け,私自身が調べて知らせたのです。チームとして正式に誕生した時と考えるのは当然ですからね。

 しかし,チームの起こりはその1,2年前に始まります。奇しくも私自身がきっかけを興しています。下の写真が北上FCJrの原型です。選手たちは40歳を過ぎているはずです。

画像


 京都の元審判副委員長のMさんが写っています。最近宝ヶ池の運動施設にお勤めになり,北上がフットサル場で夜間練習をした時,ミーティングが終わるまで夜間照明消灯時間を,オマケして少し伸ばしてくれたオジサンです。

 京都暁フットボールクラブの創生者のM木さんも写っています。3年ほど前にお亡くなりになりましたが,宝石店の社長らしく,いつもお洒落でした。この日の服装も,当時のサッカー指導者では思いもつかない色使いです。

 私も写っています。3人とも思い切り若いです。30年前ですからね。

 Mさんは,修学院FCの指導者でした。M木さんは,暁の前身である富有SCの代表でした。そして私は,Lanfanの前身の鳳徳の指導者でした。この3人がいたことにチームの起源の秘密があります。

 この欄で初めて明かしますが,私は元小学校の教師でした。サッカー指導者に19歳からいそしみ,それを続けやすい仕事として選んだ仕事でした。当時,鳳徳小学校に勤務しており地域の4種チームにも関わっていたのです。

 そのチームに5人の女の子がいました。この子たちがいなかったら,北上は生まれなかったと思います。この子たちはインパクトありました。ゲームの中では,男子チームの中にあっては目立たないのですが,技術は日に日に伸びていきます。

 何より,サッカーしている時の表情がいい。生き生きしています。よく喋るし,くったくがない。「男子にはゲームでは負けるけど,あたし等でも男子に勝てるのは・・・。」というわけで,リフティングに熱中し始めたのです。一月もしないうちに,多い子で300回。少ない子でも100回くらいになりました。男子は到底追いつきません。女の子がゴム跳びやまりつきに興じるのと全く同じノリです。

 リフティングが上手くなると,ゲームの中で光るプレーが見えてきました。結局,男子には最終的にボールを奪われるのですが,前を向くタッチがいい。まだ通らないですが,パスのアイディアもいい。ふと,思いました。「この子たち,女の子だけのゲームの中では凄いかもしれない。」と。

 この子たちに,女の子だけでサッカーさせてやりたいと思うようになりました。しかし,当時は11人制の時代です。後,7,8人見つける必要があります。探し回りました。

 いましたね。修学院FCと富有SCに3,4人ずつ生きのいい女の子がいるとの情報を得ました。同時に女の子のサッカー大会はないのかと調べました。

 お尋ねした人の一人に,西山高校女子サッカー部の監督市原先生がいらっしゃいました。当時,西山高校は全国制覇を続けていた強豪です。市原先生自身,女子日本代表の初代監督に付かれた方です。

 「あるはずです。関西協会の蔵さんという方が担当です。電話番号をお教えします。」との返答に小躍りしたのは言うまでもありません。

 「●●月に,関西のチーム対象の大会があります。是非出てください。」蔵さんの返事はこうでした。ここからチームが起ち上がっていくのです。以下次回。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
チームの起源 Part1 紫指揮部/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる